電子書籍 『破邪の祈り』 (^-^)/

電子書籍出版など御紹介。
よろしかったら、御購入、どぞ(^-^)/。

『破邪の祈り』¥525
でじブック形式(Windows
http://www.digbook.jp/product_info.php/products_id/13384
特典(?):まったくの、素人絵まで付いています!

元は、ある方の歌の歌詞が関係していて、邪道に対するクレームから始まったのですが、そこはやはり日本人^_^;。
邪道・邪意が嫌いで、クレームの意味で詩を書いたのですが、それだけではどうも後の気分が悪くて。それを打破する、邪意の無い、私が抵抗できない状態で押し付けられ続けてきた人生で、ずっと、幼少時から思って来ていた事を、まとめてみました。

メロディー、付けたくて、邪魔が入りまくっていて、まだできていません。
元の曲のメロディーは、他人の物なので(笑)、すぐに外して歌詞を考えてみました。追っかけられ捲りましたが。

2007年から書き始めて、校正に校正を重ねて、折角書いたので今年中に、と、実は切羽詰っての出版です。
他のも在るので、そのうちに、出版追加予定です。

朝鮮人が騒いでない時

子供時代から、近所にいっぱい朝鮮人が行き交って居る環境で育って、いろいろ体験版がい〜っぱい在ります。

彼等は、昔から結構自由に、母国と行き来してます。密出入国も仲間がいっぱい居る所では、御茶の子サイサイです。ポートピアも好き。戦後、悪い事し過ぎて、田舎に散った人々も居ます。そして、訴えらる前に、先に彼等自身の罪で、他人に向って軍団組んで、大騒ぎして訴えます。工作員として日本全土に紛れ込んで情報工作。バレないで上手に出来るのが自慢です。

バレないで上手に出来るそんな人は、その人自身からとても崇拝されるので、バレててもバレてない事に決めて居ます。他の人達は、成功している人が羨しくて、他人が失敗すると、とてつもなく嬉しがります。

だから、宗教の教祖様もたくさん居ます。なんだかわけが判らなくても、その謎めいた感じが、いかにもNot秘教But卑怯っぽく、闇の感じがして、うっとり入り込みたい誘惑にかられ、ぴったりフィットして、その洞穴の闇から、信者以外の人達に吠えると、何とも言えず気持ち良く、誰だか判らない所なんかが、もう恍惚です。

彼等に被害に遭わされた被害者自身に対して迄も、野次馬の立場で、被害を受けたと威張って謝罪を要求し、被害者から事実を説明されて間違いを指摘されても気にしません。

常時、叫んで居て、滅多な事では、通常の静かな話し方をしません。崇拝するボスにお目にかかる時にも、叫んで話します。穏やかな話し方をするとしたら………。(_ _)Zzz…

そんな彼等が、静かになる不気味ポイントが在ります。なぜ不気味ポイントかと言うと、そんな時は、ろくな事をやって居ない時だからです。

悪企みが成功している時、他の獲物に群がって居る時(物理的に居る人数が減るので)、欲望を満たして満腹した猛獣モードの時、などです。

なので、静かになったからといって他人に安堵感を与えない、隙の無さもまた、彼等の特技と言えるでしょう。

多数SILLY

『民主主義』は、古代ローマ時代以来、地球中でひたすら叫ばれ続けて来ていて、いまだに、かつて古代ローマなどで大失敗を期した史実の在る衆愚政治』『愚民政治』の域を出ない。

『多数決』が『民主主義』の最たるもののように錯覚している人までいるが、それは、全民衆が総ての点に於いて人道主義に則りハイレベルでなければ、所詮は『多数SILLY』以外の何物でもなく、数が多ければ多い程、愚鈍化していくという歴史は、地球中の歴史を総合しても枚挙に暇がない。

『多数決=多数SILLY』幻想からの脱却を目指して、まず、古来、謙虚さを持ち続けて来ている日本人が本当の民主主義を目指して、再努力をする事によって、他にも善い影響が波及すればいいなと思われる。

打倒!『多数SILLY』!

って勢いでもなく。それをやると、必ず、勢いが付きすぎた人達がゴールの線を過ぎても、まだまだまだまだまだまだぜんぜん暴走が止まらず、ずっと「打倒活動を続けている状態」を楽しんでいたりするケースも、やはり、古来、枚挙に暇がなく、今でも、日本人がうんざりしすぎまくって居る位、どこかからの圧力と打倒活動はうざったいのである。反省する気配すらない状態では、何処に居て何をやっているのかも関係なく、ただ、「打倒」を楽しんでいるのみである。それでは、目標地点にいつまで経っても到達しないとどころか、「今は誰、ここはあの時」になってしまう。

自らを律し、他に関係なく、他は他として、自らは『多数SILLY』パターンにならないやり方を模索し、高度な人道神道主義と価値基準で、人や団体や物事に対処するやり方でできればと思われる。

『被昇天の祝日』

『被昇天の祝日』:聖母マリアが、天に上げられた祝日と、戦後1950年に、教皇ピウス12世によって正式に これを全キリスト者の受け入れるべき教義として宣言された。

Wikipedia、Internet、ジョンレノンさんを知る人等>

12.社会共産主義の中の、世界統一人類平等を掲げている教団の存在。
現実には、「少数恐怖独裁指導者側の意図を知らせないようにして、美しいビジョン・理想像を掲げ、大勢の人々を誘惑して入れ込み、隔離された範囲の中で「独裁者たち自身が信じさせたい事が総てで、それ以外は認めない完全独裁排外主義な遣り方で、全体を纏め上げ、総てを自分達の思い通りに仕切り、その状態を良しとさせ、反抗・反対する者等を抹殺していた」」一統独裁イエスマシーンメーカー。


13.南京大虐殺の記録は、中国の当時の首脳陣の所にも、無い。
<引用開始>「蒋中正(介石)」秘録によると、「南京防衛戦における中国軍の死傷者は6千人を超えた」<引用終了>
<引用開始>いずれにせよ、南京に万を越す大虐殺があったというような記録は、中国側の第一級公式史料である何應欽上将の軍事報告の中にさえその片鱗も見出せない。<引用終了>この史料は、東京裁判での証拠として提出されていない。
また、アグネス・スメドレー女史も、ゾルゲと尾崎を上海で合わせたコミンテルンのメンバーだが、延安から漢口へ移るまでの詳しい日誌を書いている(邦訳:『中国は抵抗する』(岩波書店))が、「南京陥落」という記述が在り、その感想を述べている。が、大日本帝国軍の暴虐や大量虐殺については、まったく触れていない。
翌年の1938年にインドの医師団5名が医療救護班を組んで漢口に行った。彼等は、国民党・共産党の首脳等と会談しているが、その記録にも、中国側がかなり詳しく大日本帝国軍の犯罪行為や各地での戦闘状況などを述べているが、そこでも、南京事件に関しては、全然触れられていない。
<『「南京事件」の総括』田中正明小学館)>


いつものように、調査中です。

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<参照>
Wikipedia:インターネット上の参加型百科事典。(2010年現在)

『「南京事件」の総括』田中正明小学館

『宋姉妹』伊藤純/伊藤真(角川文庫)

空から見た南京 中山路ロータリー 14年
『一億人の昭和史』〔2〕二 二六事件と日中戦争(七月号:日中戦争、昭和五十年七月一日発行)(毎日新聞社)[注]発行年によって、内容が全く異なるので、この号を参照。

GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く』桜井よしこ小学館文庫)P396_5行目〜より

『無原罪の宿り』

『無原罪の宿り』:「原罪の穢れ無く、救い主キリストを宿した」事を祝った祝日で、1854年カトリック総本山バチカンで認定された。 大日本帝国は、潜伏工作員の操作により、この日に宣戦布告する羽目となる。 キリストは「咎無くして死す」→極東国際軍事裁判での無罪者死刑。 一部の教団では、「キリスト教は、自分達の罪を背負って、代りに死んでくれる人の存在を望む宗教」だとして、作為を持って、犠牲者が作られて来ている。古来、キリストの肖像と外観が似ている事での犠牲も、少なくないようだ。1960年デビューのイギリスのロックバンド、ビートルズのメンバーの一人、ジョン・レノンさんもまた、そういった犠牲の一人だった。共産主義者が仲間として歓迎していたが、日本の味方になりそうだったからか、人類統一概念を持った教団や闇結社のボスや反論されていた人々に都合が悪かったからか、原因は今の所不明だが、1980年の12月8日に殺害されてしまった。また、聖書の内容から、「キリストとバラバと、どちらを処刑免除するか」と民衆に何度も聞いても、明確な犯罪者であった「バラバだ」と大勢で騒ぎし、結果、バラバは死刑に値する罪が在るのに免除され、代りに罪の無いキリストが処刑されたという聖書の内容を、実行するのを好む人々の教団が存在する。

『南京事件のキーワード』

私は、昭和40年代に通りすがりの男性から、「南京事件は、中国国内の革命が在って、中国の軍隊がやった事を日本のせいにされている」と聞いていました。そして、最近、いろいろ調べていくに従って、やはり、あの男性の言っていた事は本当だったと確信が高まってきています。以下、一部御参照を。

素人調べで、まだまだ途中段階ですし、失礼等がありましたらその点、御了承くださいませ。

1.1927年南京事件にて、中国国民軍による北伐で大暴動。
『蒋中正(介石)の排外主義』によって、欧米諸国人も日本人も、虐殺された人達在り。余りの暴動に、米・英の軍艦から城内に発砲。多くの市民が亡くなっている。罪逃れ・すり替え。 → 2007年の10本以上の南京映画作成に出資した国は、中国・アメリカ・イギリスなど。
この少し前の、「蒋中正(介石)の上海事変1927」でも、外国人も狙われ、大日本帝国の国民も虐殺されたりしている。

2.1927年南京事件を1937年に移動。
崇善寺の埋葬記録は、民国27年は、本当は10年前の「1927年3月24日南京事件」。『4月の埋葬数に注目!10万人以上』南京は、春以降は気温が高めの地域。

<参考資料:Youtube>第二次上海事変における中国人による日本人捕虜の残虐処刑 (1996 CNN)
http://www.youtube.com/watch?v=Nr_eThF6I00
いや、南京大虐殺はしていませんよ。動画を検索してみてください。日本の軍隊の規律正しさが分かると思う。日本の南京入場は冬です! 証拠写真といわれるものはすべて夏のものばかり! 日本は無実です。

1927→1937な証明の一つ! 1927年南京事件は3月24日。南京の気候は、
<参照:ネット情報>「南京の平均気温」3月 最低 5°C 最高 14°C、4月 最低 11°C 最高 20°C<参照終り>
更に、四月に入って遺体が痛んで来て居る、等の埋葬関連記録も在り。

3.1927年に南京城内に軍艦から発砲したアメリカ・イギリス両国の軍艦が、1937年に大日本帝国海軍の戦闘機によって爆撃されてしまった。らしい。中国の偽装機のような気もする。4名が亡くなり、そのうちにはイタリアの記者も入っていた。日英の戦争回避密談に来て居たイギリスの使者も上海で爆撃され重傷を負われ、戦争回避会談ができずに、戦争突入。蒋中正(介石)の元奥様で蒋経国の御母堂も戦闘機に爆撃されて亡くなり(三浦和義事件みたい…)、そしてイタリア記者…。大日本帝国の海軍にも大勢コミンテルンその他の工作員が居たので、そこからの工作かもしれないが、日米開戦前の戦時中の雑誌などに、撃ち落として見れば中からアメリカ兵が出て来たとの情報も在ります。戦後、GHQ朝鮮人の都合悪い書物の焚書の中になければ、実物が在るかも知れませんが…。


4.遺体の共通性。「針金で手を縛られて、水の中へ」。
西康路の近くの寂しい野原に、「針金で手を縛られ」「機関銃で撃たれ」「沼の中に投げ込まれ」ていた死体が発見された。
蒋中正(介石)が、後に、台湾人を殺害した時に、「後ろ手に針金で手を縛り(その状態を『ちまき』と呼んでいたらしい。ついでに防疫給水部隊が丸腰に近かった状態を『丸太』と呼んでいたのではないかと、「私からの」疑いもかかっている。)、海に放り込んで殺害した」方法に、酷似している。ちなみに、大日本帝国軍は、捕虜を捕縛するのに、紐を使っている写真は見かけるが、針金は使ったかどうだか判らない。なにせ、「アジアミクロネシアの植民地支配からの解放」の大義を掲げた大日本帝国軍だったが、東京裁判等での列強の一部の方々の判断では「物資が不足していたので、植民地支配に出かけた」らしいので、資源不足で食器や鍋や寺の鐘や学校の二宮金次郎像や渋谷のハチ公までもが出兵したくらいだから。


5.下関辺りでは、国民軍が退却時に、自国軍を大量に虐殺して居る。

<『「南京虐殺」への大疑問』松村俊夫(展転社)、Internetなど>


6.計画的在留敗残兵は、便衣兵として、南京で、残虐行為を日本人の仕業にする作業をしていた。
『京都師団関係資料集』の12月14日の大日本帝国軍の歩兵の手記より、<引用開始>その中(引用者註・国際安全区)にある大きな建物の中に数百名の敗残兵が軍服を脱いで便服と着替えつつあるところを第二小隊の前原伍長等が見つけた。それというので飛び込んでみると、何のそうそうたる敗残兵だ。傍らには小銃、拳銃、青龍刀など兵器が山ほど積んであるではないか。軍服の儘の者もあれば、早くも支那服に着替えている者もあり また軍服を着て上に支那服を纏って居る者もあるが、何れも事項はずれのものや不釣合いの物を着て居るので、俄あつらへであることが一目で解った。<引用終了>、そのほか、(^_^)≪編集中≫(^_^)/
<『「南京虐殺」への大疑問』松村俊夫(展転社)、Internetなど>


7.蒋中正(介石)は、『太陽王』を目指した。『サンセット計画』
華やかで煌びやかな真昼の太陽の象徴である『晴天白日旗』を掲げ、中国制覇を目指した蒋中正(介石)。彼は、派手を好み、上層階級志向が強かったようだ。また、各方面からバックアップを得て、どの軍団とも同盟関係に在った事があり、その中に工作員を入れ込む事も容易だったようだ。そして、『サンライズ・サンセット計画』(おそらく、日本の国旗が日の出入り時の太陽と見立てての事。太陽の実体は、「オレンジ色」のような気がしますが 。)を実行。1937年のレトリックは、『19=仇』『37=サンセット』である。
<様々な本、Internet、子供軍隊(日本では、戦後、ガム チョコレート・特権などを貰って米軍やGHQの工作の手先として工作活動するのを得意としていた、当時の子供達のネットワークが存在します。)、私が子供の頃から通りすがりの人々から伺った事。昔は、戦争の話を聞かせてくれる人々が大勢いました。>

8.白崇禧 氏は、蒋中正(介石)軍の参謀総長
南京で、蒋中正(介石)の元に居て、12月7日に蒋中正(介石)が退城する時に、一緒に退城したという事になっている。
(2010年現在、民主党議員:白真薫 氏(元朝鮮人と言われている)の先祖であられる富田直亮 少将(2010年現在、民主党議員:白真薫 氏(元朝鮮人と言われている)の先祖であられる富田直亮 少将(中国名:白鴻亮)らが、戦後、日本から、蒋中正軍軍事顧問「白団」として参加。関係者か?「富田メモ」の方との関係は?)
<『「南京事件」の総括』田中正明小学館)、Internetなど>


9. <引用開始>陥落前の南京
はじめ南京城市民は、もしも日本軍さえ入城してくれるなら、中国軍の退却のドサクサにまぎれた暴行掠奪も終るだろう、と期待したものです。ところが<引用終了>
つまり、この内容では、大日本帝国軍は、それ以外の所では、つまり、この内容では、大日本帝国軍は、それ以外の所では、通常は、略奪暴行が見られず、行けば治安が安定する軍として認識されていた現実、暴行略奪を行っていない評判が、南京市民に行き渡っていた。ということですかね? GHQの人間が作った、大日本帝国軍人の悪評を目的とした文章だけれど、真実も含まれている。と、私は鑑定しました(^_^)/。ちなみに、<ところが>の後は、大日本帝国軍の悪事として記されていますが、現実には、中国軍による虐殺シーンです。パターンが中国そのもの。
<『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く』桜井よしこ小学館文庫)P396_5行目〜より>

10.宋財閥は、『聖書の印刷・出版』で財閥に成り上がった。
宋美齢の父である宋耀如(そうようじょ:チャールズ・ジョーンズ・スーン::チャーリー・スーン宋美齢の父親)は、上海疎開で南メソジスト教会の牧師として伝道活動を行い、同じ信徒であった倪桂珍と結婚。
参照:<伊藤純/伊藤真『宋姉妹』(角川文庫)>

11.12月8日『聖母マリアの無原罪の宿りの祝日』、8月15日『聖母マリアの被昇天の祝日』

太陽

太陽

私の記憶違いでなければ、天動説で見れば、太陽は朝昇って、夜沈む。極地に近い所では『白夜』な時期を含んでいる地域も在る。


太陽自体は、写真で見る限り、オレンジ色をした炎の天体で、それが地球で丁度良い状態で照っている。地域によって違うとはいえ、宇宙での過激な条件の格差を見れば、地球上での天候のバリエーションの範囲は、かわいいものである。が、厳しい環境・条件は、人間に向いていないので、温暖な気候であるに限る。
太陽王ザ・セカンドを目指した「青天白日旗」を汚した、「蒋介石(しょうちゅうじょう)」は、とてもではないが、御天道さまが燦々と輝く白昼に、正々堂々と胸を張って、天地神明に誓って、台湾人と日本人に誓って、孫文に誓って、事実を説明して思いや行状を告白できないだろう。…だから、あんな人間で、あんな人だったわけか…。

せめて、その辺りにだけでも、誠意を持って欲しかったものだ。