多数SILLY

『民主主義』は、古代ローマ時代以来、地球中でひたすら叫ばれ続けて来ていて、いまだに、かつて古代ローマなどで大失敗を期した史実の在る衆愚政治』『愚民政治』の域を出ない。

『多数決』が『民主主義』の最たるもののように錯覚している人までいるが、それは、全民衆が総ての点に於いて人道主義に則りハイレベルでなければ、所詮は『多数SILLY』以外の何物でもなく、数が多ければ多い程、愚鈍化していくという歴史は、地球中の歴史を総合しても枚挙に暇がない。

『多数決=多数SILLY』幻想からの脱却を目指して、まず、古来、謙虚さを持ち続けて来ている日本人が本当の民主主義を目指して、再努力をする事によって、他にも善い影響が波及すればいいなと思われる。

打倒!『多数SILLY』!

って勢いでもなく。それをやると、必ず、勢いが付きすぎた人達がゴールの線を過ぎても、まだまだまだまだまだまだぜんぜん暴走が止まらず、ずっと「打倒活動を続けている状態」を楽しんでいたりするケースも、やはり、古来、枚挙に暇がなく、今でも、日本人がうんざりしすぎまくって居る位、どこかからの圧力と打倒活動はうざったいのである。反省する気配すらない状態では、何処に居て何をやっているのかも関係なく、ただ、「打倒」を楽しんでいるのみである。それでは、目標地点にいつまで経っても到達しないとどころか、「今は誰、ここはあの時」になってしまう。

自らを律し、他に関係なく、他は他として、自らは『多数SILLY』パターンにならないやり方を模索し、高度な人道神道主義と価値基準で、人や団体や物事に対処するやり方でできればと思われる。